小川未明 「赤い船」 再生時間:17分23秒 無料再生時間: 提供:パンローリング |
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内容紹介
明治43年に未明が発表した日本最初の創作童話集とされる「おとぎばなし集 赤い船」の巻頭を飾った作品。広い世界に憧れる貧しい少女と、船を見つめて涙する裕福な娘の内面世界を描く。
あらすじ
貧しい露子はオルガンの音が大好きでした。学校の先生から、オルガンは外国からやってきたという話を聞いてから、露子はオルガンの音を聞くたびに懐かしい、遠い感じがして、広い海の彼方の外国を思い浮かべました。十一のとき、貧しさから露子は東京のある家へ奉公へ出ました。その家にはとても優しいお姉さんがいて、お姉さんが家にあるピアノを弾くと、露子はやはり懐かしい、遠い感じがしました。
初夏のある日、露子はお姉さんと一緒に海辺へ遊びにいくと、沖の向こうに赤いすじの入ったいっそうの大きな汽船がありました。
赤い船に不思議な懐かしさを感じる露子は、いつか自分もあの船に乗って外国へ行って、オルガンやピアノを聞いたり習ったりしたいと思いました。
次の日、窓辺で赤い船のことを思う露子のところへ、南の海からやってきたというつばめが一羽飛んできました。
海を越える間に赤い船を見たというつばめは、明るく静かな月夜の中、船の上ではいい音楽が奏でられ、人々がみな楽しんでいたと、露子に話して聞かせました。
そうしてまた飛び去っていったつばめを見守りながら、赤い船はいまどこを航海しているのだろうと、露子は考えました。
著者情報
小川未明(おがわ・みめい)
1882年4月7日-1961年5月11日小説家・児童文学作家。本名は小川 健作(おがわ けんさく)。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。娘の岡上鈴江も児童文学者。
新潟県高田(現上越市)に生まれる。東京専門学校(早稲田大学の前身)専門部哲学科を経て大学部英文科を卒業。坪内逍遙に師事し、島村抱月やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)らにも影響を受けた。
在学中に処女作「漂浪児」を発表し、逍遥から「未明」の号を与えられ、卒業直前に発表した「霰に霙」で小説家としての地位を築く。1925年に早大童話会を立ち上げ、1926年以降は童話作家に専念する。
1953年、童話会の会員だった鳥越信と古田足日の二人を中心をした「少年文学宣言」が発表され、未明は、古い児童文学として否定されるという、苦渋の晩年も送った。
代表作は、「金の輪」(労働文学)、「赤い蝋燭と人魚」(朝日新聞)「月夜と眼鏡」(赤い鳥)、「野薔薇」(小さな草と太陽)など。