小川未明 「赤いろうそくと人魚」 再生時間:30分38秒 無料再生時間: 提供:パンローリング |
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内容紹介
「赤いろうそくと人魚」は小川未明の代表作のひとつ。人間のエゴイズムをテーマとするこの作品は、芸術的な文章と情景描写によって綴られ、印象深く迫力があります。またその独特な言い回しは、聴いた人を一気に物語の世界に惹きこみます。
美しい愛情で始まり、救いのない悲しい結末で終わる物語。そこには善人も時と場合によって悪人に変わりうるという、人間のリアルな身勝手さや醜さが描かれています。
自分の童話を子どもだけでなく大人にも読んでほしいという小川未明。作品を通して、人間はただ綺麗なことばかりではないということを大人の心にも強く訴えかけてきます。
あらすじ
北の暗く寂しい海に子を宿した女の人魚が棲んでいた。子どもには明るく優しい人間の町で暮らしてほしいと考えた人魚は、海辺の町にある神社で子どもを産み落とすことに決めた。
神社のふもとにあるろうそく屋の老夫婦に拾われた人魚の子は、大切に育てられて、誰の目にも美しい娘に成長した。
娘が店のろうそくに赤い絵を描くとたちまち評判となった。またそれを神社に納めると無事故のお守りになるとの噂が広まり、ろうそく屋と神社の評判はますます高まった。
しかしある時、大金に心を奪われた老夫婦は、人魚の娘を南国の香具師(行商人)に売ってしまい、悲しむ娘は真赤に染めたろうそくを残して連れて行かれた。
その夜、不気味な女が赤いろうそくを買っていった。するとたちまち海は荒れ、娘を乗せた香具師の船は沈んでしまった。
その後、毎晩神社に灯る赤いろうそくは死を招く不吉と言われ、神社は鬼門として忌み嫌われ、数年後には町も滅びてしまった。
著者情報
小川未明(おがわ・みめい)
1882年4月7日-1961年5月11日小説家・児童文学作家。本名は小川 健作(おがわ けんさく)。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。娘の岡上鈴江も児童文学者。
新潟県高田(現上越市)に生まれる。東京専門学校(早稲田大学の前身)専門部哲学科を経て大学部英文科を卒業。坪内逍遙に師事し、島村抱月やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)らにも影響を受けた。
在学中に処女作「漂浪児」を発表し、逍遥から「未明」の号を与えられ、卒業直前に発表した「霰に霙」で小説家としての地位を築く。1925年に早大童話会を立ち上げ、1926年以降は童話作家に専念する。
1953年、童話会の会員だった鳥越信と古田足日の二人を中心をした「少年文学宣言」が発表され、未明は、古い児童文学として否定されるという、苦渋の晩年も送った。