日本中世の社会と文化(2) 1967年7月27日 紀伊国屋ホール 再生時間:1時間59分12秒 無料再生時間: 提供:岩波書店 |
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内容紹介
日本史にとって中世とはいかなる意味を持つのか。また、中世が古代から受け継いだものをどのように評価するべきか。古代の日本は、国土を確定して「島国」として統一されるとともに、仏教という思想体系を受容し、律令体制という、明治へと至る政治体系を確立した。中世はこれらの古代から継承してきたものを変革し、また新しく創造した。その中世の文化と人々の諸相を生き生きと描き出す。講演者紹介
林屋辰三郎
歴史家。1914年、石川県に生まれる。1938年京都大学文学部卒業。敗戦を病床で迎え、科学的な歴史研究をめざし日本史研究会を発起、代表委員となる。立命館大学教授、京都大学人文科学研究所教授、京都国立博物館長を歴任。1998年没。『日本の古代文化』などで日本の古代から中世・近代にかけての変革期に注目し、継体期内乱の意義、歌舞伎・茶道の発生と展開、都市自治の担い手である町衆の発見など、文化史の手法と流麗平明な文体は学界のみならず広く一般に影響を及ぼした。注釈
律令国家(りつりょうこっか)
天皇家を頂点として臣・連・国造・伴造などの中央・地方の豪族の土地・民衆を包摂し、これらすべてを官人機構に組み込んだ体制が律令体制である(林屋辰三郎『日本の古代文化』)。通説的には7世紀後半から9世紀末頃までの律令法に基づく支配体制を持った国家のことを指す。都城(とじょう)
中国の、城壁で周囲を囲まれた都市である都城を模倣して建設された日本の都市。平城京や平安京が代表的。左右が対になる区画の規則性など、律令体制が持っていた規格的な性格を象徴する都市形態と林屋は指摘している。シリーズ一覧
・日本中世の社会と文化(1)・日本中世の社会と文化(2)